もう少しさ、詳しく聞いておいてよ

昼休み終了5分前、12時55分。
オフィスの静けさを切り裂く電話音が鳴った。

私は当時、新卒採用直後に居室に配属された2ヶ月程度の新人であったため、当然のごとく電話受けをしており、その迷惑な受話音を0.1秒でも早く鳴りやませるために、すぐに受話器を取る立場であった。

その電話は、別室に居る中間管理職からの電話で、今朝、私の所属するチームのチームリーダーである上司(上位の一般職41歳)が起こしたミスについて、社内向けに報告書を作成するよう本人に促すための電話だった。本人(私の上司)に電話を代わってくれとの事である。

①私のチームのチームリーダである上司(以下、単に上司とする)は、昼休みの睡眠を愛する人であった。私は中間管理職と繋がっている受話器を耳に当てながら、ひょいと上司の方へ目をやると、いつも通り、居室の電子レンジで温めた私物のホットアイマスクをして、椅子を4席並べてその上に仰向けに寝ていた。この姿に、昼休み残り5分を切った所の微妙なタイミングで声をかけて起こすと、不機嫌になる事は目に見えていた。起こした後の「怒ってない。他の人だったら怒るよ...」とぶつくさ怒って、その後も機嫌が悪くなる、、、という、絵に描いたような言行不一致の無様な姿を想像して嫌になった。ここで声をかけることは、私のためだけでなく、彼の配下に居るチームメンバーへの影響(不機嫌なリーダー)も考えて、避けるべきであることは明白だ。

②従って私は、この電話を本人に取り次がず、折り返し連絡にする事にした。ほんの数分後ではあるが、昼休みが明けてすぐ何の件か分かっている状態で円滑な折り返し電話を出来るよう、条件を探った。

③電話の向こうの中間管理職に「その報告書作成のための雛形はどこにあるのか」と聞いたところ「詳しくは分からないけれど、社内ページの◯◯というところにあるかもしれない...」という半端な回答を得た。電話の向こうで社内ページをクリックしながら探している音が聞こえたので、どう考えても、私との電話で集中力が削がれた状態で探していては、昼休みが終わるまでに見つかることは無いと断定できた。

④これ以上電話で聞くと、電話の向こうの中間管理職が、何も具体的な準備をせずにこちらに電話してきたことを暴いてしまうことになる。それは申し訳ないし、そもそも問題を起こして報告書を書くのは、中間管理職よりも職位の低い私の上司なのだから、ここは中間管理職の顔をたてるためにも早々に電話を切るべきだろう。

⑤ここで電話を切れば、電話が切れた後に集中力を取り戻した中間管理職は引き続き社内ページを漁って、昼休みがあける頃には報告書の雛形を探すことが出来るだろうと推測できた。その直後に私の上司が折り返せばスムーズであろう。

⑥そして何より、仮にここで中間管理職が報告書の雛形を探し当てたとして、それを上司に渡しても、私の上司はとことん外面的な体たらくに執着する人であるため、結局は報告書を書く前に中間管理職に電話をして「役員はどれくらい怒っていましたか?」等と、どのくらい誤魔化して良いのか探りを入れるであろう事を私は知っていた。なので、折り返し連絡になる事は確定しているため、尚の事、初めから折り返しにしてしまうのが合理的なのである。

⑦既に私は中間管理職と2,3分は話していたのだが、抑えていても私の声は居室に響いてしまっていた。居室内にはおよそ40人の従業者が、各々静かに目を閉じて休憩していた。この各々の静が積み重なった思いやりに溢れた静寂を慮るならば、これ以上電話を続けるのは申し訳ないと判断し、私は早々に、中間管理職に電話を切って折り返す旨を伝え、電話を終えた。


12時58分電話終了。
約3分間の電話が終わった。


そして、昼休みが空けた。


私は上司に、今朝の件(私は詳しくは聞いていなかったが、噂で聞いていた)で、社内向けの報告書を作成するよう中間管理職から連絡があり、それは社内ページの◯◯にあるかもしれないが、詳しくは分からない。とにかく数分前の話なので、すぐに折り返し電話をして欲しいと伝えた。

そして、上司は中間管理職に電話をかけ、案の定、役員や取締役レベルの人間たちの怒り度合いを聞いて、報告書を書くことになった。


ここまでは、全て想定どおりで完璧だった。


しかし、上司は私にこう言ったのである。



「何でさ、報告書の場所とか、もっと詳しく教えてくれなかったの?中間管理職からの電話のときに、もっと確認できたんじゃないの?もう少しさ、詳しく聞いておいてよ。」



んー、浅はか!




私は上記①~⑦の理由で、あえて詳しく聞かずに折り返しの連絡にして、どちらかと言うとあんたより上位の中間管理職をたてたんだよ。そして居室の皆の、特にあんたの昼休みの睡眠を守ったんだよ。
結局、折り返しの連絡するんだから、この選択があんたも中間管理職も準備不足を暴かれなくてハッピーだろ?居室の皆もハッピーだろ?





短絡的で全体最適を考えない人の理不尽な怒りは、稚拙で疲れる。
「詳しく聞かなかった①~⑦の理由」を説明するのは面倒だし、これを彼(上司)が分かるように言語のレベルを変換しないといけないのも面倒だ。
考えるスピードで話せないのも面倒だ。

まぁ、この理由を説明しようとしたところで、どうせ私が説明し終わる前に5秒ごとに私の話に割って入ってきて、そのたびに文句だけ言う未来が見えるから、説明しないんですけどね。


ねぇ、それからさ、そういう時に全く関係のない世の中に対する不平不満不幸をどんどん膨らませて吐かないでくれよ。生きてて悲しくなる。



こうして私は、9か月後に精神病を患う事となる。
一つの言行を決定するのに、単純計算で私は上司の7倍深く理由を考えているのだ。
従って、一つの理不尽(やる理由ではなくやらない理由を吐く)に対して、私は通常の7倍のダメージを負う。


あぁ…論理的思考、多角的なものの見方って難しい。
私よりも、もっともっと5分以内(2~3分)で色々な事を考えられる頭のいい人たちがこの世にはいっぱいいるんだろうけど、その人たちって、もっともっと大変なんだろうな。居室に居る40人にとって、あるいは別室にいる人、社内にいる人、顧客...その他諸々の人々にとっての全体最適まで考えられる人も居るだろう。そういう人にとって、こういう私のかつての上司(41歳児)はどう写るのかな。難しい。


『7つの習慣』という名著に「主体的であれ」という言葉があり、我々人類は「出来事」に対して「どう反応するか」を自ら選択出来ると論じられている。私は、この出来事を決して看過出来ないと思っていたのだが、結局、今思い返しても、看過しない(主体的に合理性の欠如を怒る)のである。

私が精神病となったのは、多次元(多項目)における関数の極小条件(全体最適)を見つけようとする思索故であり、それはそれで良いと考えている。それを怠り続けている上司の短絡的思考に苛立ったのは当然なのだ。短絡的思考に対する苛立ちがあるからこそ、多角的に物事を捉えようとするのだから。これを無くしてまで生きていたいとは思わない。苛立たなくなったら、俺は終わりだ。そう定義する。