博覧強記と浅学非才

博覧強記と言われる人は、自らを浅学非才と認識している事が多いのではないか。もちろん天才であると自他共に認めるような存在も居るが、それよりも数が多いのではないかと思っている。凡夫の域をギリギリはみ出すかはみ出さないか、そういう天才と凡才の境界に居る人が、私はこの上なく好きだ。

何かを知ろうと努力するとき、まだ到らないという自らの浅学さが努力を加速するように思われる。

さぁ、今日も勉強だ。

関数空間

高校生の時、物理を愛し化学に恋をした。

素粒子物理や物理化学の分野が特に好きで、雑学書を中心に良く調べていた。

しかしながら、実際に大学生になって自然科学を専攻してみて、私にはそれらの深淵を理解するだけの素養がないと気づき始める。学部レベルでリタイアだ。それでも必死に縋り付こうとしたことを覚えている。毎日毎日教科書を読んでいたけれど、分からない行間は結局分からない行間のままで終わってしまう事が多かった。その過程で得た副次的な見識で以て、同輩や後輩にいくら凄いと言われても、学部の中でいい成績を収めても、世界から見れば自分が持っている知識というものは儚すぎて、毎日劣等感を感じ続けていた。その劣等感は会社員になった今も尚持っていて、結局自然科学には携わらない会社員として今は働いているのだが、今でもたまに、迷子になっているような気分を味わっている。

関数空間で泳げるくらいに数学のセンスを磨ければ、もう少し変われるのかな。

アラサーか…まだ死んでいない。もう一度理解に努めようか。泳げるかな私は。